福岡市博多区のやまだホワイトクリニック歯科の院長をご紹介します。

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スタッフブログ

院長紹介

院長:山田 友康(Tomoyasu Yamada)

院長 山田 友康 口腔外科担当

平成6年:九州大学歯学部卒業
平成6年~7年:鶴見大学第一口腔外科
平成7年~9年:横浜労災病院口腔外科
平成9年~11年:鶴見大学第一口腔外科 助手
平成11年~12年:村上歯科クリニック
平成12年~17年:ワタナベ歯科医院 副院長
「患者が決めた!いい病院ランキング」にてグッドドクターに選ばれました!
平成17年~:やまだホワイトクリニック歯科 院長

所属学会

  • 日本口腔外科学会会員
  • 日本口腔インプラント学会会員
  • 九州インプラント研究会会員
  • 日本歯周病学会 会員
  • 日本臨床歯周病学会 会員
  • ITIメンバー

院長 山田友康をもっと詳しく

~小学校5年生の時に経験した事故~

私は三人兄弟の末っ子で、5歳上に姉、2歳上に兄がいます。兄とはいつも近所の子どもたちと仲良く遊んでいました。

保育園の卒園で母からのコメントではいつも兄と兄弟喧嘩ばかりしていたそうです。ちょっと悪い遊びがすきで、よくいたずらをしていました。いつも遊んでばかりいたので、父親からは「遊び呆けていないで、勉強しなさい」と叱られていました。家の中でじっとしているのが嫌いで、暇さえあれば独りでも出かけていました。

姉と兄は優秀でよく学校でも表彰されていました。勉強嫌いの私は、体育だけは誰にもまけず、足も速く、良く褒められていました。

そんな私が「将来、歯科医師になりたい」と思ったきっかけがあります。

やんちゃだった小学校5年生の時に急坂を自転車にのって猛スピードで下っているときに、車をよけた拍子に転倒。前歯を折ってしまいました。小学生ながら、かなりショックで、それからというもの、大学まで、前歯にはコンプレックスがありました。

そのとき、同級生のお父さんに治療をしてもらったのですが、歯に対してはすごく嫌なイメージがあり、それを払拭したいと思い、自分で歯科医になろうと思いました。あんな思いはしたくない、子供だから、大人だからという理由ではなく、ひとそれぞれに感じる歯の大切さがあると思いました。そういう苦痛を取ってあげるのが、理想の歯科医師じゃないかと思いました。

真剣に「よし!歯学部を目指そう!」と思ったのは、高校2年生の頃です。

~初の一人暮らし!輝いていた青春時代~

受験では共通一次試験があり、あまり点数が良くなかったために、地方へ九州大学を受けることになりました。受験後、合格し、はじめて、九州で独り暮らしをはじめました。親戚もいなかったので独り暮らしの最初はさびしくてしょうがなかった思い出です。

ほとんど友人みんな地方出身だったので、1人暮らし同士すぐにみんな仲良くなり、楽しい大学生活でした。大学時代はテニス部に入り、夏は軽井沢でオールデンタルという大会にでて、テニスを楽しみました。


学生時代はお金には余裕がなかったので、夏休みにはいすゞ自動車の工場で働いたり、日雇いのバイトでお金を稼いだりしました。いすゞ自動車の工場で車のバンパーの組み立てをして、1ヶ月働いたときには初めて夜勤という仕事を経験しました。夜中の1時に昼休みというものがあり、昼ごはんを食べるのですが、外は真っ暗。なにか変な感じでした。

同級生4人でレンタカーを1台借りて、九州1周や広島山口など色々なところに、お金を掛けずによく、旅行をしていました。時には、車中泊して宿代を浮かせながら旅行でしたり、今では考えられない貧乏旅行をして、友人と九州色々なところに行けたことが一番の思い出です。

~勤務医時代はとにかく勉強、勉強!~

その後、九州大学を卒業して、実家の川崎に戻りました。口腔外科を勉強したいため、東京では鶴見大学第一口腔外科 瀬戸晥一教授の元で臨床と研究に励みました。特に、2年目に関連病院の横浜労災病院の口腔外科に出向のときは、いつも朝8時から夜の1時まで先輩の先生と一緒に、病院で仕事をしていました。時に夜中に顔面外傷の救急で呼ばれ、朝まで手術をしたこともあります。また、他科の医科のドクターとも仲良くなり、救急で心臓マッサージの手伝いや、脳外のオペに頭蓋骨のレプリカを入れる手術に一緒に入って手伝ったりしました。それだけハードな仕事でしたが、2年目から全身麻酔の手術の執刀をさせてもらい、また、麻酔の研修もしっかりでき、臨床の技術はかなりあがりました。

その頃、結婚し、子供も生まれ、病院から30メートルしか離れていない官舎にもかかわらず、なかなか早く帰れず、いつも12時過ぎに帰宅していました。本当に仕事しかできず、たまに家族で買い物にいくのがすごく楽しみだった記憶があります。

4年目にはいり、鶴見大学の助手というありがたい待遇で戻してもらい、臨床だけでなく、研究、さらには学生の教育にも携わることになりました。その頃教えた学生が、同じ医局にはいり、今でも頑張っている姿をみると教員も楽しいなと思います。

そのように大学で過ごしているうちに、関連病院での臨床がやはり楽しくて、臨床1本で頑張っていきたいと思いはじめ、助手を1年半したのち、大学を退職し開業医に勤めることにしました。臨床はひとりひとりの患者様をしっかり診て、治療をし、苦痛を取り除いてあげることができ、自分には向いているのではと思いました。どうしても大学は、政治だの、人間関係だので、患者さんを助ける以外の時間をかなり取られてしまうことが、自分には向いていないのだと思います。患者さんと向き合っている時間の方が自分には向いています。

~いよいよ開業!でも勤務医の方が楽だった!?~

開業は、治療だけでなく、スタッフ、経営なども考えながらしないといけません。診療以外のところに、すごい時間、労力を取られます。勤務医の時の方が楽だったと思います。

開業して2~3年後、いい治療だけしていればスタッフもついてきてくれると勘違いをしていた時期がありました。治療のことだけで、スタッフのことは二の次にしか思っていませんでした。そのことで、スタッフと僕との間で色々な問題が起こり、何人もいいスタッフが辞めてしまった時期がありました。忙しさにかまけてスタッフのことを考えてあげる余裕がありませんでした。それからは、技術の勉強だけでなく、スタッフのマネージメントの勉強もするようになり、徐々に、医院も変わっていくことができました。

~「何のために、当院が存在しているのか?」を考えた~

そして、自分の理想とする、「健康な口元づくりでみんなを笑顔に」経営理念に掲げ、歯科診療を通し、患者様を幸せな笑顔にし、また、自分やスタッフ、それをとりまく家族みんなが幸せになるよう頑張っていきたいと思っています。大変なのですが、せっかく開業したので、少しでも理想に近づけるように、自分の理想の医院になれるように日々精進します。

平成26年4月で開院から10年目に入り、小さくて治療を嫌がっていたお子さんがいまでは大きくなり、成長した姿をみると、とても微笑ましく、僕らも一緒に成長させてもらったんだと、感じます。

~これから当院が目指すもの~

今後は、今来ていただいている患者様がさらに喜んでいただけるような、高度な歯科医療の提供と、おもてなしができたらと思っています。臨床は自分は大好きなので、5年後も診療は続けていると思います。古門戸町で地域1番の歯科医院になり、当院に来ていただいた患者様が歯科医療を通し、幸せになっていただけるような関係を作っていけたらと思います。